商品紹介
人口190万人を超える北の大都市『札幌』。
この大都市で古くから栽培され、注目される農作物がある。
北海道の玉ねぎ栽培の100年を支えた品種『札幌黄』である。
札幌黄は、現在生産されている一般的な玉ねぎと比べ、いびつな形が発生しやすいなど、栽培が難しい品種であるが、優れた食味の遺伝子を持ち、現在の道内で栽培されている品種の多くにその血が受け継がれている。
また、札幌黄は肉質に厚みがあり、軟らかく、甘みがあり、辛みとのバランスも良いことから食材として魅力的なため、今でも札幌黄を探し求めている料理人は少なくないとのこと。
札幌黄は北海道の玉ねぎ栽培の100年を支えた品種であり、いつまでもその種を守っていきたい品種である。
写真提供:札幌市東区役所
北海道に玉ねぎがもたらされたのは、明治4年、開拓使によってアメリカから持ってきた種子を栽培したのが最初とされている。
このころ、札幌にはいくつもの開拓地があったが、札幌村(現在の札幌市東区南西部)は、多くの農家が玉ねぎ栽培を始めたとされ、札幌村が玉ねぎ栽培の発祥の地となった。
その後、長く保存できることなどから需要が高まり、玉ねぎ栽培は年々増加していった。そのような中、明治35年に北海道農事試験場が開場され、その後、明治39年に同試験場の文献にて札幌黄の文字がはじめて登場することとなり、以後、北海道中で栽培されることとなる。
明治後期から昭和初期には、札幌黄は本州だけでなく、ロシアやフィリピン、香港や台湾などに輸出されるまでとなった。
大戦中に大幅に生産を減らしたものの、戦後、増産に励んだ結果、昭和40年代になって、年間7万トンを生産する「日本一の玉ねぎ産地」の称号を得ることとなる。
道内のほとんどの産地で札幌黄とその系統の玉ねぎが栽培されていたこの時期が、まさに札幌黄の絶頂期であった。
しかし、その後、日持ちがして病気に強く、かつ収量が多く大きさが揃っている、F1種が現れる。
札幌でも昭和50年代ごろからF1種が導入されはじめ、その有用性の前に、札幌黄はなすすべなく生産量を激減させていくこととなる。
さらに都市化により札幌における玉ねぎ自体の生産量が大きく減少し、札幌黄という玉ねぎの存在はおろか、かつて札幌が玉ねぎの一大産地であったことすら忘れ去られようとしていた。
国内初の玉ねぎ栽培を記す記念碑(札幌市東区)

生産量が激減した札幌黄は「幻の玉ねぎ」とまで言われるようになってしまったが、何軒かの生産者そして関係者が「絶やしてはならない」という使命感を持って、細々と作り続けていた。
そのような中、近年の「地産地消」運動や「在来種」の見直し、何より2007年、スローフード協会国際本部(イタリア)による世界遺産の食材版といわれる「味の箱舟」の認定を受けたことにより、再び札幌黄が脚光を浴びることとなったのである。
また、現在、北海道内で作られているF1種の多くが札幌黄を片方の親にしており、種は変わっても札幌黄のDNAは脈々と受け継がれている。
明治時代に生まれ、大正時代に育ち、激動の昭和時代に絶頂と凋落を味わい、そして平成になって復活したこの玉ねぎは、時代に寄り添いながら生き抜いてきた。
これからも、札幌の玉ねぎの象徴として、多くの人々に愛されていくことだろう。

札幌黄は、味が濃く、加熱調理をすると辛味が消えてとても甘くなることから、特に煮込み料理に向いています。
ビーフシチューやスープカレー、ポトフ、肉じゃがなどがおすすめです。
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